日本の家庭とジェンダー史

旧民法下の「家制度」とジェンダー役割:戦後の変革が現代に与える影響

Tags: 家制度, ジェンダー役割, 民法改正, 家族史, 社会規範, 戦後社会, 公民教育

はじめに:現代のジェンダー課題と歴史のつながり

現代社会において、家庭内のジェンダー役割やワークライフバランス、多様な家族形態は重要な議論のテーマとなっています。これらの課題を深く理解するためには、日本の家庭が形成されてきた歴史的背景、特に明治時代以降に確立された「家制度」とその後の変遷を把握することが不可欠です。本稿では、旧民法下の「家制度」がどのように日本の家庭におけるジェンダー役割を規定し、そして戦後の民法改正がどのような変革をもたらしたのか、さらにその影響が現代社会にどのように残されているのかを考察します。この歴史的視点は、今日のジェンダー平等教育を考える上で、生徒たちが身近な問題として捉えるための具体的な視点を提供するものと考えられます。

旧民法下の「家制度」とジェンダー役割の確立

明治時代に制定された旧民法(1898年施行)は、「家制度」を基盤としていました。この制度は、単なる同居家族の集合体ではなく、戸主(こしゅ)を中心とした強固な集団であり、その中で各構成員の役割が明確に規定されていました。

1. 「家」の定義と戸主権

旧民法における「家」は、祖先祭祀を継承し、財産を維持する永続的な共同体とされました。戸主は「家」の代表者として絶大な権力、すなわち戸主権を持っていました。これには、家族の居住地決定権、家族員の婚姻や養子縁組の同意権などが含まれており、戸主以外の家族員の個人の自由は大きく制限されていました。戸主は原則として長男が世襲し、家督(かとく)相続(家の財産と地位を単独で継承すること)も長男に限定されることが一般的でした。

2. 男性と女性の役割規定

この家制度の下では、性別に基づく役割分担が明確でした。 * 男性(戸主): 家の統率者であり、家業の維持、財産の管理、そして家族の扶養が主な役割でした。社会における公的な役割を担う存在として位置づけられました。 * 女性(妻、娘): 戸主に従属する立場であり、その役割は「家」の維持、子孫の養育、そして家庭内の労働に限定されることがほとんどでした。特に妻は、戸主の家に入ることで、旧姓を失い、夫の家の人間となるという意識が強く、離婚の自由も極めて限定的でした。明治以降に国家が推奨した「良妻賢母」の思想は、このような家庭内の女性の役割を強固なものとし、女性が社会参加する道は極めて狭いものでした。

このような制度は、日本の社会構造、経済状況、教育制度、そして人々の価値観に深く根ざし、家庭内の意思決定から財産管理、子の教育に至るまで、あらゆる側面に影響を与えました。

戦後の民法改正と「家制度」の解体

第二次世界大戦後、日本の民主化とGHQ(連合国軍総司令部)の占領政策の下、旧民法に基づく家制度は根本的に見直されることとなりました。1947年に制定された新民法は、個人の尊重と男女平等を原則とし、以下のような画期的な改革を行いました。

1. 戸主制度の廃止と個人の尊厳

新民法では、戸主制度が廃止され、すべての国民が個人として平等な権利を持つことが明確にされました。これにより、家族構成員は、戸主の同意なしに婚姻や養子縁組を行うことができるようになり、個人の自由と尊厳が保障されるようになりました。

2. 男女平等の原則と夫婦同権

これらの法改正は、日本の家族制度とジェンダー役割のあり方を大きく転換させるものでした。形式的には、家制度は廃止され、個人の自由と平等が法的に保障されることになったのです。

「家制度」の影と現代のジェンダー役割

法制度上の「家制度」は廃止されたものの、その影響が社会の意識や慣習から完全に消え去ったわけではありません。戦後の高度経済成長期を経て、旧来のジェンダー役割が形を変えて再生産される側面も見られました。

1. 高度経済成長期の性別役割分業の再強化

戦後の復興から高度経済成長期にかけて、男性は「企業戦士」として長時間労働に従事し、女性は「専業主婦」として家庭を守るという性別役割分業が社会全体に強く定着しました。これは「企業が男性を終身雇用し、その給料で家族を養える」という経済的背景と、「男は仕事、女は家庭」という旧来の価値観が結びついた結果と言えます。メディア(例:1969年放送開始のアニメ『サザエさん』に描かれるような家族像)も、このような家族形態を理想像として広める役割を担いました。

2. 現代社会に残る「家制度」の残影と課題

現代において、共働き世帯が多数派となり、女性の社会進出が進む一方で、旧来のジェンダー役割意識は根強く残っています。 * 労働市場における課題: 女性の非正規雇用比率の高さ、管理職比率の低さ、賃金格差などは、過去の性別役割分業意識が現代のキャリア形成にも影響を与えていることを示唆しています。 * 家庭内における課題: 男性(夫)の家事・育児への参加は増加傾向にあるものの、依然として女性(妻)に偏りがちであるというデータが多数示されています。例えば、厚生労働省の「国民生活基礎調査」などでは、共働き世帯における夫婦の家事・育児時間の差が報告されています。また、男性の育児休業取得率は徐々に向上しているものの、国際的に見るとまだ低い水準にあります。 * 多様な家族形態への対応: 選択的夫婦別姓制度の議論や、LGBTQ+など多様な家族のあり方への社会的な認知・支援の遅れも、旧来の「家」の概念や家族観が現代社会の多様性に十分に対応できていない現状を示していると言えるでしょう。

これらの課題は、単に個人の選択の問題として捉えるのではなく、歴史的に形成されてきたジェンダー役割の構造が現代社会にもたらす影響として多角的に分析する必要があります。

結論:歴史的視点からジェンダー平等を考える

日本の旧民法下の「家制度」は、長きにわたり家庭におけるジェンダー役割を強固に規定してきました。戦後の民法改正により法的な枠組みは大きく変革されましたが、その影響は社会意識や慣習の中に深く残り、現代のジェンダー課題に複雑な影を落としています。

高校の公民科教育においてジェンダー平等を扱う際には、単に現状の課題を指摘するだけでなく、このような歴史的変遷、特に旧来の法制度や社会規範がどのように現代の社会構造や人々の意識に影響を与えているのかを具体的に掘り下げることが重要です。過去の家族像や性別役割分業が形成された背景を理解することで、生徒たちは現代の課題が個人の選択のみならず、歴史的・社会的な構造によっても規定されていることを認識し、より深く多角的にジェンダー平等について考えるきっかけを得られるのではないでしょうか。