日本の家庭とジェンダー史

高度経済成長期における「専業主婦」モデルの定着とその後の変容:日本社会のジェンダー規範を読み解く

Tags: ジェンダー役割, 専業主婦, 高度経済成長, 家族史, 社会変革

はじめに:高度経済成長期における家庭像の確立とその意義

日本の家庭におけるジェンダー役割は、社会経済状況や法制度の変遷とともに大きく変化してきました。特に、戦後の高度経済成長期は、現代日本の家族形態やジェンダー規範の基盤を形成する上で極めて重要な時期であったと考えられます。この時期に確立された「専業主婦」モデルは、単なるライフスタイルの一形態に留まらず、女性の社会参加、男性の働き方、そして家族のあり方に深く影響を与えました。

本稿では、高度経済成長期に「専業主婦」モデルがどのように定着し、その後の社会変化の中でいかに変容していったのかを歴史的背景、社会経済状況、法制度、そしてメディアの視点から多角的に分析します。この考察を通じて、現代日本社会が抱えるジェンダー課題の根源を理解し、今後のジェンダー平等の推進に向けた議論のきっかけを提供することを目指します。

「専業主婦」モデルの形成と定着:1950年代から1970年代

高度経済成長期(1950年代半ばから1970年代初頭)は、日本経済が飛躍的な発展を遂げ、人々の生活水準が向上した時代です。この時期、都市部への人口集中、核家族化の進行とともに、「会社中心の男性社員と、家庭を守る専業主婦」という役割分担が社会規範として強く定着しました。

1. 経済的背景と企業の役割

戦後の経済復興期を経て、日本の主要企業は終身雇用、年功序列賃金、企業内福利厚生といった日本的経営システムを確立しました。これにより、男性の従業員は安定した収入と雇用を享受できるようになり、一家の「大黒柱」としての役割が明確化されました。一方で、女性は結婚を機に退職し、家事・育児に専念する「専業主婦」となることが推奨されました。これは、企業が男性従業員の長時間労働を可能にするため、家庭内のケア労働を女性に全面的に委ねる構造を強化した側面があります。

2. 法制度と社会保障

法制度も「専業主婦」モデルの定着を後押ししました。例えば、税制における「配偶者控除」は、一定収入以下の配偶者を持つ世帯の税負担を軽減するものであり、実質的に女性が家庭に留まることを経済的に優遇する効果を持ちました。また、国民年金制度における「第3号被保険者制度」(1986年導入)は、被用者年金加入者の配偶者(主として専業主婦)が保険料を負担することなく年金受給資格を得られる制度であり、これも専業主婦というライフスタイルを公的に支えるものでした。

3. メディアが描く家庭像

当時のテレビCMやドラマ、雑誌などのメディアは、「豊かな暮らし」の象徴として、電気製品に囲まれた近代的なリビングで、夫の帰りを待つ妻と子供たちが描かれた家庭像を繰り返し提示しました。例えば、アニメ「サザエさん」に登場する磯野家は、典型的な核家族であり、夫が会社員、妻が専業主婦というモデルを多くの人々に浸透させました。これらのメディア表現は、社会全体で共有される理想的な家庭像を形成し、「専業主婦」という役割を肯定的に位置付けることに貢献しました。

4. 統計データに見る「専業主婦」世帯のピーク

総務省の労働力調査によれば、1960年代から1970年代にかけては「夫が働き、妻は専業主婦」という世帯の割合が高水準で推移していました。1975年には、共働き世帯と専業主婦世帯の割合が逆転し、専業主婦世帯が約7割を占める時期もありました。このデータは、「専業主婦」モデルが社会の主流であったことを客観的に示しています。

「専業主婦」モデルの変容と現代的意義:1980年代以降

1970年代のオイルショックを経て、日本経済は高度経済成長期のような高成長が困難となり、女性の労働力は経済の重要な要素として認識されるようになりました。これ以降、「専業主婦」モデルは徐々に変容を遂げ、多様な家族形態や働き方が模索される時代へと移行していきます。

1. 女性の社会進出と法改正

1985年の男女雇用機会均等法の制定は、女性が職業生活において差別されずに働く権利を法的に保障する画期的な出来事でした。これにより、女性の大学進学率や社会進出が加速し、結婚後も仕事を続ける女性が増加しました。しかし、実際には依然として多くの企業で女性に不利な雇用慣行が残存し、非正規雇用や「M字カーブ」(女性の年齢階級別労働力率が、出産・育児期に低下し、その後に再び上昇するグラフの形状)といった課題も生じました。

2. 経済状況の変化と共働き世帯の増加

経済のグローバル化や非正規雇用の拡大、さらには少子高齢化の進展は、一馬力での家計維持を困難にしました。結果として、共働き世帯は増加の一途を辿り、1990年代後半には専業主婦世帯を上回るようになりました。2000年代以降、その差は拡大し、現在では共働き世帯が多数を占めています。この変化は、女性が経済的自立を追求するだけでなく、家計を支える上で不可欠な存在となっていることを示しています。

3. 男性育児参加とワークライフバランスへの意識変化

女性の社会進出が進む一方で、男性の家庭における役割にも変化の兆しが見られます。育児・介護休業法の整備や、男性の育児休業取得促進に向けた政策が進められる中で、男性も家庭生活への参画を求める声が高まっています。しかし、依然として日本の男性の育児休業取得率は低く、長時間労働の慣行も根強く残っており、ワークライフバランスの実現は社会全体の課題として認識されています。多様な家族形態(シングルペアレント、同性パートナーシップ、ステップファミリーなど)の増加も、従来の「専業主婦」モデルに基づく家族観を見直すきっかけを提供しています。

まとめと今後の展望:現代社会におけるジェンダー平等の意義

高度経済成長期に確立された「専業主婦」モデルは、当時の社会経済状況や文化の中で合理性を持っていた一方で、現代のジェンダー課題に深く影響を与えています。このモデルが形成したジェンダー規範は、女性のキャリア形成を阻害し、男性の家庭への関与を制限し、結果として少子高齢化や多様な家族形態への適応を遅らせる要因ともなりかねません。

現代社会においては、個人の能力や選択がジェンダーによって制限されない、真のジェンダー平等が求められています。そのためには、歴史的背景を理解した上で、既存の社会制度や無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)を見直し、性別に関わらず誰もが自分らしい生き方を選択できるような社会環境を構築することが不可欠です。教育現場では、過去のジェンダー役割の変遷を学ぶことで、生徒たちが現代社会の課題を多角的に捉え、自らの価値観を形成する上での重要な視点を提供できるでしょう。

私たちは、「専業主婦」モデルが過去の遺物としてではなく、現代社会を形作る上で果たした役割とその影響を深く考察し、未来のより公正で多様な社会を築くための知見として活用していく必要があります。